高収入の人はたいてい、その収入に見合った努力をしているな、と感じたこと。
前の職場の同僚のこと
出産前まで某外資系企業で契約社員として働いていました。
同僚は気さくで優しく、優秀な方が多かったのですが、皆さん陰の努力が凄かったです。
ある時、私のいる部署が締めでものすごい残業になった時、みんな疲れ果てていて、歳の近い人達で帰りに1杯だけ飲んで帰ろうか(会社のすぐ近くに軽くビールが飲めるアイリッシュパブがありました)、という話になりました。
その時に、同僚の一人が「あ、今夜のSkypeの英会話レッスンキャンセルするんでちょっと待ってください!」とスマホでなにか操作し始めました。
この言葉に驚愕!!
こんなにフラフラになって、私なんか家帰ってお風呂入って寝ることしか考えてないのに、英会話レッスンだと!?
しかも、その同僚は帰国子女、英語話せます。
傍から見ていても完璧に見えたのですが・・・この上さらに上達しようとしている!!
この彼の他にも、別部署の女子は残業続きのところ、ある日、「今日は早く帰れる~これから英会話レッスン行きます」と仰ってました(驚)。
彼女も英語は完璧に見えたのだけれど・・・私だったら無駄にショッピングモールフラフラしたりしているところです(大汗)。
高収入(当時自分が現金出納業務をしていたので、おおよその皆さんの報酬が分かる感じでした)の人は本当に努力してるんだなぁ~とともかく感心しました。
小説『ノルウェイの森』の永沢のセリフ
村上春樹の小説『ノルウェイの森』には傍から見て完璧に見える(東大生で卒業後は外務省のキャリア、実家がお金持ちで女の子にすごくモテる)永沢という人物が登場します。
その永沢のセリフ↓
「でもね、俺は空を見上げて果物が落ちてくるのを待ってるわけじゃないぜ。俺は俺なりにずいぶん努力をしている。お前の十倍くらい努力してる」
「そうでしょうね」と僕は認めた。
「だからね、ときどき俺は世間を見まわして本当にうんざりするんだ。どうしてこいつらは努力というものをしないんだろう、努力もせずに不平ばかり言うんだろうってね」
僕はあきれて永沢さんの顔を眺めた。
「僕の目から見れば世の中の人々はずいぶんあくせくと身を粉にして働いているような印象をうけるんですが、僕の見方は間違っているんでしょうか?」
「あれは努力じゃなくてただの労働だ」と永沢さんは簡単に言った。
「俺の言う努力というのはそういうことじゃない。努力というのはもっと主体的に目的的になされるもののことだ」
「たとえば就職が決って他のみんながホッとしている時にスペイン語の勉強を始めるとか、そういうことですね?」
永沢の言うように、高収入の人たちは「主体的に目的的に努力をしてる」人ばかりでした。
「いいなぁ~」と言いながら何もしなければ、現状は何も変わらないと気づきました。
現状に不満を感じたら、ちょっと努力(行動)してみる。
本を読んで、また、周りの努力している人を見て、現状に何か不満を感じらたら、「現状を打開すべく、なにかできないかな?」と考え、行動するようになりました。
主婦になって、収入を少しでも増やせないかと考え、投資の本を読んで勉強&小額投資してみたり。
昔は、ちゃんと努力してリターンを得ている人のことを「優秀だからできるんだ」なんて思っていたんですが、特別優秀じゃなくても、現状の不満に対して打てる手はたくさんあると今では思っています。
この考え方にシフトしてから、行動力が増したように思います。