本の感想。『くよくよマネジメント』津村記久子 著
元々、津村さんの小説のファンです。
そういえば最近、新刊を追いかけていなかったと思い、地元の図書館で検索→まだ読んでない数冊を借りてきました。
この本は小説ではなくエッセイ。
主に人間関係や自分の心の在り方について語られています。
信じれば捨てられる
「信じれば捨てられる」というタイトルの回がありました。
ひたすらに溜めるということに対して、捨てるという行為は、いやでも自分のこれまでを振り返ることを要求します。
物を捨てることによって、自分がどんな無駄な物を受け取ったり買ったりしてきたのかがよくわかってくるのです。
わたしは、物を捨てるようになってから、無駄な物をあまり買わなくなりましたし、無料の物であっても、すぐには受け取らなくなりました。
これは、本当に同感です。
私も、断捨離をするようになってから、使わないものは無料でも貰わないようになりました。
そういうわけで、本当にいつもへとへとになりながら廃棄作業をするのですが、物を捨て、部屋を掃除しながらひたすら自分に言い聞かせていた言葉は、「やればできる」ということでした。
もう十数年縁のなかった、信じてこなかった言葉です。捨てられない人間にとって、捨てることの壁はどこまでも高く厚いのですが、それでもどこかに、考えを変える突破口はあります。
まずは自分の判断を信じること、という、処世術にも通じる教訓が、物を捨てることにはあったのでした。
「やればできる」
この言葉、私にとっても縁がないというか、あまり信じてこれなかった言葉です。
でも、そうか。
「まずは自分の判断を信じること」っていうのはものすごく心強い考え方でした。
自分と他人の区別
「自分と他人の区別」という回。
人間同士が関係する上でのさまざまな軋轢の源流には、「自他の区別が付けられない」という、重くて毒を持った石が横たわっている様子が、年齢を経るごとに見えてくるのです。
家でも学校でも会社でも、他のサークルの中でも、誰かが誰かに何かを強要して傷つけることの根底には、この区別の付けられなさが存在しています。
「どうしておまえは私の言う通りにならないのだ?」という、非常に一般的な不満は、この区別の付けられなさに属します。
なにか腹が立っても「自分とは常識が違う人なんだ」と認識するだけで、だいぶ違ってくる気がします。
そして、そんな人と出会ったら、個人的には逃げて逃げて逃げまくります。
とにかく物理的な距離をとるのが得策。職場の近しい人で完全に避けられない場合は、可能な限りの距離をとる、という方法を取ってきました。
ちなみに、津村さんの対処法は
わたしもまだ、これといった技は持っていないのですが、早めに気持ちのシャッターを下ろして、自分のことは話さず(何も与えず)、間違っても理解しあおうとはしないことです。
参考になります。
たしかに、「なんとか良い人間関係を築けないものだろうか」という努力というか未練で事態が悪化した経験ありです。
諦めは大切!!
自分という子供との付き合い方
一番印象的だったのはこの「自分という子供との付き合い方」の項目。
たしかに、自分の中に「子供」います。完全な「大人」にはなりきれないところ。
自分の中の子供は、自分で面倒を見るしかないのです。不満を抱えながら悲しそうにしているその子供と、ああしたら気が紛れるかもね、とか、こうしたらうまく人と関われるかも、とか、ここをなおさないと不自由しそうだね、とか、ここはなおさなくてもいいかもね、などと少しずつ話し合いながら、人間は明日も自分ではない誰かに会いに行くのです。
もう一度子供には戻れない以上、泣き喚く子供、不平不満で爆発しそうな子供は常に自分とともにいて、それはもう仕方のないことです。
自分の中の子供の面倒を自分でちゃんとみること。
自分の中の子供(な部分)の面倒を人に押し付けないこと、大事なことです。
まとめ
津村さんの小説のファンですが(特に『婚礼、葬礼、その他』が面白かった)、エッセイもよかったです。
他にも小説や書評をまとめた本もこの本と一緒に借りてきたので、読むのが楽しみです。